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2010年 10月 31日
現在は中央自動車道の下に埋め戻されて、見る事はできない。 宮城県縄文芸術館、縄文芸術展図録のなかで詩人、宗左近氏によると、阿久遺跡は全体の半分ほどしか発掘されなかったにもかかわらず、敷き詰められた石の総数は30万個、平均寿命の短さ(発見されている縄文人の遺骨の年代が31歳まで)を考えた時に、数世代にわたって続けられた大事業であり、目的は信仰の場であると言う。全国でもトップクラスの規模をほこる縄文遺跡だそうです。現在より1万2千年前から2千3百年前までの1万年間にわたり、大阪〜北海道までの地域に住み、縄模様の入った、造形性あふれる土器や土偶を残している。現在の日本人は、その後の時代、大陸から渡って来た弥生人との混血であるらしい。面長、彫りが深く、目は二重、毛深いのが縄文人で、横に広い顔、彫りが浅く、目は一重、毛の薄いのが弥生人、だそうです。それと以前読んだ、縄文人の暮らしをしている、縄文オジサンの書いた本、(著者、題名、失念)では、耳あかが湿っている人は縄文人、乾いていると弥生人の血をひいているとの事でした。 日本の美術、工芸の歴史はなぜか、縄文を黙殺して弥生時代から始まっているように感じられます。当然、先住民を追いやった新しい民族、弥生人が支配した世界では、先住民である縄文人の呪術的造形物が、消え失せて行く事があたりまえなのでしょうが、その後の歴史の中でも、もっとも日本的と考えられている、作為の無さ、侘び寂び、不完全な美、を尊ぶ感覚には、まったく、原初の日本人、縄文の入る余地がありません。禅的なこの美意識は輸入された感覚が基本にあるはずですし、新しい支配者である弥生人の感性だと思います。 1950年代、岡本太郎が縄文を発見し声高に日本人のルーツとして擁護する以前の芸術家や工芸家のほとんど全ての人達が、自分たちには関係の無い、とるにたらない物と評価していたようです。松本民芸館にも数点の縄文土器が展示されていましたが、もし現在の陶芸家が火炎土器のような造形性の強いデコラティブな作品を制作したら、民芸を評価する人達は認めないのではないでしょうか?日本人が大好きな李朝白磁に代表される静かに澄んだ作為の無い自然な造形は、僕も好きですが、もう半分の自分は唯一無二の動的、魂的造形、縄文に惹かれ続けています。旧モンゴロイドと新モンゴロイドの混血日本人としては当然なのではないかと思います。クラフトフェアー松本でも出品者のほとんどが、弥生的李朝的民芸的なシンプルな作品で、縄文的工芸作家の動的魂的作品をもっと取り上げてほしいなと感じました。 岡本太郎いわく、(こんなに激烈で非日常で自由で超越的な作品が、他の世界にまたとあろうか。まさにはるかに現代芸術を超えている。)と! この遺跡を見てもわかるとうり、諏訪地方はただならぬ場所です! 追伸。この原村には、エンプティーに参加してくれる塚田さんの空き牧場と空き農地があるとの事!Empty Farm こちらもどーにかしていきたいです!◎tezuka
by habaue433
| 2010-10-31 06:49
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